資金難、リストラ、裏切り……経営危機を克服
「ハレ街メディア」創刊に秘めた使命感とは

2025 年4月2日、株式会社イナバプランニングカンパニーはハレノヒハレ株式会社へと社名を変更。創業から27年目で社名を変えることを決意し、同時に未来のハレを創り出す挑戦者たちにフォーカスを当てた「ハレ街メディア」をスタートさせた狙いは。同社社長の稲葉晴一に思いを聞きました。
ハレノヒハレに社名を変更した理由から教えてください
稲葉晴一(以下、稲葉): これまで「人生のベストコンディションを追求する」という信念のもと事業を運営してきました。しかし事業が拡大するにつれ、その思いがうまく伝わっていないのではないかと感じる機会が増えていきました。私たちが提供するのは価格にもスペックにも差をつけることができない金融商品です。私たちがどのような会社で、何を考えて動き、どのような世界観を持ってお客様の今後を考えているかを知ってもらうことが重要ではないかと考えました。それはお客様がパートナーを選ぶうえでとても重要な判断基準になり得るからです。 私たちが価値提供の一つとして言語化している「人生のベストコンディションを追求する」の意図をどうすればお客様に伝えることができるのか。私は、社名から「なんでこんな社名なの?」と思わず聞きたくなるような名前にしたいと思っていました。社名の由来から自然と自社が大切にしているエピソードを語り始めることができたら、もっと多くの方に私たちが大切にしている価値観をお伝えできると考えたからです。 実は私は5月の天気のいい日に生まれたこともあって、「 いちばんの晴れの日」という意味で「晴一(せいいち)」 という名前なんです。顧客にとって特別な日、ハレノヒをハレにしていく会社。そんな思いを込めて「ハレノヒハレ」に決めました。
お客様がお客様の課題を解決する新たなメディア
「ハレ街メディア」とはどのようなメディアなのでしょうか
現在、私たちは法人約500社、個人約8000人の顧客とお取引をしています。ハレノヒハレのお客様同士のサービス・プロダクトを結び付けることで金融商品だけでは解決できない様々な課題解決を目指すとともに、お客様の事業成長を手助けしていくことができないか。そんな思いで立ち上げたのが「ハレ街メディア」です。 「ハレ街メディア」では、ハレノヒハレがこれまで関係を築いてきた顧客企業様の企業内容を紹介していきます。商品やサービスのご紹介はもとより、創業の経緯や経営者の思いについても理解を深めていただけるよう、当社の担当営業が企業としての魅力を深掘りしていきます。 私たちは保険代理店事業を営んでいますが、本来、保険代理店は金融商品を使って顧客の課題を解決していく存在です。しかし、顧客の課題は事業承継や採用、広報活動など多岐にわたり、時に金融商品では解決できないこともあります。 これまで、私個人として、事業承継の専門家や人材会社、SEO対策会社など、お客様が持っているサービスやプロダクトを別のお客様に紹介することで課題解決のお手伝いをしてきました。それがうまく機能していたのは双方の企業様のことを私がよく知っていたからです。もし各企業様の情報がまとまったポータルサイトがあれば、より健全なマッチングを促すことができるはず。法人同士に限らず、さまざまなライフイベントを機に保険を検討された個人のお客様に対しても、キャリアチェンジやお子様の就職活動の手助けができるかもしれない。そのような思いで「ハレ街メディア」を運営しています。
20歳で起業するも次々と訪れる苦難
もともと稲葉さんが保険業界の道を選んだきっかけは?
祖母が呉服屋を経営していたこともあり、昔から強い独立思考がありました。「 早く稼ぎたい」と考えて大学を中退し、たくさん稼げると考えたフルコミッションの営業職を探し始めました。ところが外資系の保険会社には「キャリアがないと採用できない」と断られてしまいます。そんな中、保険代理店という存在を知り、働き始めました。 社員5~6人の会社で、月給15万円からのスタートでした。電話営業が得意だったこともあり、10カ月でトップセールスに。この時点でもう独立したいと考え、3名の経営者にご出資いただき、20歳のときに会社を立ち上げました。 15 名ほどのアポインターを採用し、アポイントが取れたら保険代理店の方にお繋ぎする。今でいう、保険専門の営業代行の会社でした。
起業した会社は順調に軌道に乗ったのでしょうか?
幾度となく危機に陥りました。最初の危機は起業直後です。初月は2万7000円の入金に対して支払いが240万円。創業当初は900万円あった資本金があっという間になくなってしまう恐怖との闘いでした。半年ほどで銀行から融資が下りなくなり、資金繰りに窮するようになりました。結果、食べるものにも困るほどの困窮生活に陥ってしまったのです。 今後どうしようか頭を抱えていたときのこと。保険会社の役員の方とたまたまお会いする機会があり、一定の実績をコミットする代わりに資金を先払いしていただくという約束を取りつけることができました。20歳で起業し、もがいていた私のことを買ってくださったのでしょう。この時に先払いしていただいた資金は本当にありがたかったですね。担当支社の事務員の方が食事をごちそうしてくださるなど、本当に皆さんに助けられたことを今でもよく思い出します。 2 度目の危機は法改正でした。世の中にテレアポを生業にする企業が増えてきたことをきっかけに、テレアポ会社に営業内容の録音・モニタリングが義務付けられるようになりました。専用の録音機は1台何百万円もしました。アポインターを15名から5名に減らしても事業は厳しいまま。しかし退職してもらった社員から「不当解雇だ」と賠償請求のための内容証明郵便が送られてきてしまいました。そうはいっても資金もなく、どうにもしてあげられない状況です。せめて誠意だけでも見せたいとご自宅に飛んでいって土下座して謝りました。精一杯状況を説明した結果、最終的には納得してもらうことができました。 そんな苦しい創業期を経て、7年ほどたった頃、出資いただいていた経営者から会社を吸収合併するという話が飛び込んできました。私は社長から役員となり、3年ほど経過したある日、「 クレジットカードの支払いが口座から落ちない」という趣旨の電話を事務員が受けました。状況を確認してみると、社長が会社の資金を株の信用取引で溶かしてしまったことが判明。道理で無理なコストカットを進めていたわけだと納得しましたが、時既に遅し。蜂の巣を叩いたように人が去っていくのを眺めながら、自身もここにはいられないと退職を決意。退職金ゼロ、顧客リストゼロからのリスタートでした。

30歳、4畳半からのリスタート
数多くの苦境の末にたどりついたのが2013年に立ち上げたイナバプランニングカン4 パニーなんですね。
当時保険会社の委託契約は簡単に許認可が下りなかったため、父親が個人で立ち上げていた代理店を買い取る形でイナバプランニングカンパニーを起業しました。 実家の4畳半にホームセンターで購入した机を並べて30歳からのリスタート。自分の給料を出すのも難しい時期が1年以上続きましたが、徐々に顧客数を伸ばし、事業が安定していきました。長く担当されていた保険代理店業の大先輩が自身のお客様を「あなたになら任せられる」と言ってくださって引き継いだり、「 ありがとう、助かったよ」と感謝されたり。ただ、実績を積み重ねていくうちに、少しずつ心境の変化が訪れていきました。
それはどのような変化だったのでしょうか。
保険営業を始めた頃、お客様の要望に対して適切な商品を提案し、感じ良く対応できるフットワークが軽い営業担当者であれば商品は売れると思っていました。実際、多くの場合はその通りだったのですが、保険に加入していただいたお客様と十数年のお付き合いを続ける中で、一つの大きな課題にぶつかりました。それは、表面的なご要望に応じた保険の提案だけでは、「 お客様が真に必要とする保障を十分に提供できない場合がある」という現実でした。 ある日、がんと診断されたお客様から相談を受けました。数カ月前に保険を見直したばかりで、その時はご要望に沿って保険料を抑えながら幅広い保障を提案しました。しかし、実際の給付内容を確認すると、以前のプランより保障額が減少しており、治療費や生活費を十分にカバーできない状況でした。「 これからどうしよう……」とつぶやくお客様の沈黙。数分のはずが何十時間にも感じました。 この一件によって、「 自分が提案したものは、お客様のその後の人生のコンディションを大きく左右するんだ」ということを痛感することとなりました。この頃から、商品やお客様への向き合い方が大きく変わっていったのです。 たくさんの反省と同時に、それでもたくさんのベストコンディションを作ってこられたという自負も生まれていきました。事業承継をどうするのか、BS(貸借対照表)をどう見るのか。未来のことをお客様と一緒に設計していけるのは保険屋だけなんじゃないか。そしてこれから迎えるお客様の特別な日をもっともっといいものにしていきたい。そんな思いを込めて、イナバプランニングカンパニーから「ハレノヒハレ」に社名変更するとともに、「 ハレ街メディア」の運営を始めました。
今日(取材日)はあいにくの曇り空です。今日の空を人生に例えると?
暑くもなく、湿度も高くない。過ごしやすい気候ですね。今日は気持ちよい風が吹いています。風で雲が流れていくと、これから晴れるかもしれないと期待できる。曇りの日を人生に例えると、ワクワクできる日なんじゃないかと思いますね。

未来のハレを実現するために、最も大切にしていることは何ですか?
「 ハレノヒ」に期限をつけることですね。365日ずっと観測していればいつかは晴れの日は来るけれど、自分はいつハレノヒにしたいのか、そこに向かって進んでいけるように期限を明確にするようにしています。
これまででいちばんのハレの日は?
結婚13年、8年間にわたる不妊治療の末、いま5歳になる娘と3歳になる息子が生まれた日です。
未来のハレを実現するために最も大切にしていること、そして今後の展望についてお聞かせください。
金融商品という枠組みを超えてお客様の課題解決に取り組んでいきたいと考えています。例えば士業チームを内製化できれば、もっと様々な課題を解決できるのではないかと思っています。「 ハレ街メディア」についてはまずは100社の掲載を目指したいですね。経営者の考え方を知ることができるのは、当社の社員にとっても大きな財産になります。「 ハレ街メディア」を通じて、みんなでステップアップしていけたらと思っています。
